
edel(エーデル)のホームページをご覧いただきありがとうございます。
オーナーの山影優(やまかげすぐる)といいます。
口下手で、施術中は髪の毛に全集中するので無口にですが、髪の毛を綺麗にすることは得意な美容師です。
edel(エーデル)とはドイツ語で「貴重な」という意味があり
お客様に美容室で「価値のある特別な時間を過ごしていただきたい」という想いから、edel(エーデル)という名前をつけました。
簡単に僕の自己紹介をさせてください^ ^
ヤマカゲスグルの簡単な経歴
出身は島根県雲南市三刀屋町です。
家族構成は6人家族、4児の父です。

仕事が終わったら即、家に帰るくらい家族が大好きです。
趣味はバスケットをすること。
個人的な将来の夢はNBAを見に行くこと^ ^
スポーツ全般的に好きです。
あとは子供の写真を撮ってSNSにアップすることです。
時代
- 中学に入ってから自分が勉強ができない事を痛感、焦りを感じる。 自分なりに勉強を始め、中学2年で初めて良い点を取り「やればできる」と感じる。
- 家庭環境の影響と心の葛藤 母親が入院しており、父親に育てられる。家庭が落ち着かず、母の病気を受け入れられない時期もあった。
- バスケットボールとの出会いと挫折 中学では地区で活躍し、特待生として高校に進学。 しかし高校では周囲のレベルの高さや人間関係のトラブル(いじめ)に悩み、途中で挫折を経験。
- 経済的に余裕がなくても父は怒らず支えてくれた。 新聞配達やアルバイトをしながら、自分の力で少しずつ社会に触れる。高校後半にはいじめもなくなり、ようやく学生生活を楽しめるようになった。
中華料理屋時代
- 高校卒業後 「都会に出たい」と「料理ができるお父さんでありたい」という理由だけ で大阪に出て中華料理屋で働きました
- 奇抜な髪の毛にして、店長に髪形を注意され、髪形を注意されたこときっかけに辞めることを決断 半年で退職
- 髪の毛にたずさわる仕事がしたいと思い、学校の説明会にいってヘアメイクの学校にいくことにしました
- 中華料理屋の先輩にパチンコを教えてもらった。ギャンブルを覚えた
フリーター時代
- カラオケ屋と居酒屋でバイトしながら生計を立てていました
- バイト後にするバスケットが楽しすぎて、学校よりもバスケットに夢中でした
- 真面目に学校は行き、なんとか卒業できた メイクに興味が全く湧かなかったのでメイクをしないと決めて、北新地の「ヘアセット専門店」入社しました
セットサロン時代
- とにかく不器用で 同期の女の子に「負けたくない」という気持ちと気合いで日々を乗り越える
- 毎日緊張の汗を大量にかきながらホステスさんに叱られながらけ髪の毛をひたすらホットカーラーで巻いてました
- 北新地から、宗右衛門町の店舗に異動した 不器用でもきちんとヘアセットができるようになりました
セットサロン(別店舗)時代
- 友人の紹介で、違うお店で(かっちりセットから、ゆるいヘアアレンジをメイン)働きました
- 美容以外の仕事を勉強させていただきました
- その頃から「美容師になりたい」と思うようになり、退職して26歳にして美容師をスタートする事を決断
美容師時代(大阪)
- ここでも不器用さ発揮してアシスタントの時毎日叱られました。
- とにかくレッスンして、順調にカリキュラムをこなし「タイミングと運により」早期スタイリストデビューができた
- 自分の息子が入院をしたことをきっかけに、妻の地元(鳥取)に帰ることを決断しました
米子で個人店、低価格サロンで働く
- 家族の紹介で顧客0スタートで個人店で働く。
- 子供のイベントに気軽に行ける環境で働きたいと思い、低価格サロンで働く
- 空いた時間で、夜にマンツーマンサロンで働く
大衆業務委託サロンで開業した
- ご紹介で業務委託サロンで働くことになった
- 髪質改善技術に特化した美容室で技術講習を受けエーデルオープン
- 各々が自分の正解を持っていてやり方の違いにストレスがたまる
現在
何もかもゼロスタートの状態でしたが、現在は独立して今も必死で毎日を試行錯誤しつつ毎日を楽しんで過ごしています^ ^
どういう人生を歩んできたのか?
今に自分に至るまでをかいています。ながい文章ですが、良かったら読んでください
島根県雲南市三刀屋町出身の田舎育ちの僕は
特に取りえがなかったけど、家庭環境が貧乏で複雑だったのもあり「忍耐力」はあるのと、運動することは好きでした。
小学校の時、部活動の種類も少なかったのもありますが気がついたらバスケットボールを初めて、中学、高校と続けました。
今僕の唯一の趣味になっています
そのバスケットで培った気合と根性で
美容学校通信教育に通い、仕事をしながら美容師免許を取得できました。
学生時代
勉強もできると思い込んでいましたが、中学校に入るとまったく点が取れず
バスケ部の友達に「こいつ、そんなに頭良くないだろ」と思って、テストの点で勝負を挑みました。
結果は…見事に完敗。彼は想像以上に頭が良くて、正直びっくりしました。
ちなみに僕は、言うまでもなくクソでした(笑)
回答用紙が返ってきた後に、正解のところをこっそり直したこともあります。
多分周りの生徒は気づいてたと思う…
そこから、誰に言われたわけでもなく、自分なりに勉強を始めました。
そして中学2年のとき、初めて良い点が取れた時のことは今でもよく覚えています。
「やればできるんだ」と実感できた瞬間でした。でも中の中位のレベルですよ笑
中学1年の時、初めて「はみご」を経験。
自分がバスケ部の友人にちょっかいをかけたせいでした。
母に対しては相変わらず冷めた態度で、母の精神的な病気を受け入れることができませんでした。
中学2年以降は生活も落ち着き、荒れることはほとんどなくなりました。
中学のバスケはとても楽しく、地区でもそこそこの活躍ができたおかげで、特待生に選ばれました。
当時はルンルンでしたね
中学校を無事卒業することができ、高校の時はバスケットボールの特待生で私立の高校に進みました
憧れで入った高校でしたが、現実は全くちがい自分の実力を目の当たりにし
部活の同期ともうまくいかず、2年になった時に自分はいじめられ、本当に辞めたかったです。2年になった時に自分はいじめられていたが、絶対に後輩には優しくしようと思えた。
高校の公式戦出場時間は10分もなかった
小、中、とレギュラーで試合に出られていたのに高校の時は全く試合にも出れずに、諦めたそんな自分に腹が立ち、悔しい思い出が強くいまだに心残りがあります。
それでも、部活を辞めなかったのは自分の家が貧しかったので
特待生で部活を辞めてしまったらせっかくの学費免除がなくってしまい
「親にお金の面で迷惑」をかけたくなかった。それが1番の理由です
学生時代、母は精神病で入退院を繰り返してました【現在は普通に生活してます。 】だから僕は中学高校を卒業するまで父1人に見てもらってました。高校は地元雲南市ではなく出雲に行ってたのもあり、
朝5時に起き、弁当作ってくれて、帰るのはいつも22時、そこから洗濯、晩御飯の支度。
約2年ちょい、めちゃくちゃ大変だったと思います。
僕が40歳にして初めて知りましたが実は「実は辛すぎて泣いてたことがあったみたいだよ…情けなくなってきたとか…でも自分がやらなきゃ誰もやってあげれないからと思って過ごしてたみたい」と母が教えてくれました。
当時、母は家に居ないし めちゃくちゃ辛かったんだろうな…僕は父の頑張りを誰よりも見てました。
家が貧乏だったので叔父のお金をパクって小遣いにしていた。おじいちゃんはもしかしたらそのことに気づいていたのかもしれない。なんの理由もなかったけど、盗んだお金も含めお金に困りたくなかったので自分は少しづつでもお金を貯めていた
しかしある時
当時付き合っていた彼女の定期券を使ってキセルをして駅員に捕まり、 10万近くの罰金を支払ってお年玉やら含めた貯金が一気になくなった
改めて大人になり振り返ると、良いことも悪いこともやったことはいつか自分返ってくるコトを学べて本当によかった。今では自分の子供にはお金で困らせたくない気持ちが強くなり、当たり前だが支払いを遅れたり学校で必要な物を購入できないという想いをさせたくないと現在進行形で強く思えている
いろんな支払いが遅れている家庭状況もあり自分は少しづつでもお金を貯めようと思った
高校3年から、電車とチャリの定期券代は払おうと思い新聞配達を始め3年の夏から、高校卒業するまでの間自分で9000円定期代を払った。とても良い経験になった
部活を引退した後は、毎日がとても楽しく、あっという間に高校卒業を迎えた
進学はする気がまったくありませんでしたが、「とにかく都会に行きたい」
当時中学校の時の先輩が大阪にいたので
それをきっかけに大阪に行くことを決断しました。
なんとなく過ごしていた25歳までの話
全く知らない大阪に行くことになったのですが、ワクワクする気持ちが強かったです
大阪は自分にとって第二の故郷で
いろんな業種の人と出会い、人としてたくさんの学びがあり、本当に大阪に行って良かったなと思っています
学生時代はほぼ父親に育ててもらったのもあり、僕の中で父親がご飯をつくれるのが憧れになり
「将来料理ができるお父さんになりたい」
そんな理由で、中華料理屋さん就職しました。
何店舗かありましたが、店舗の一つがたまたま先輩の家の近くでした
運良く、先輩の家の近くの店舗に配属され、働くことになった。
寮に住んでいたんですが、寮から職場が少し距離もあり先輩のワンルームの家に家賃を払わず住み込みさせてもらった。
しかしお互いの生活環境が違いすぎてワンルームでプライベートも無くなってしまい、僕に相手を思いやる気持ちもなく好き勝手自由にしすぎて、めちゃくちゃ仲が悪くなり気まずくなった。(今ではまた仲良しです)一生ワンルームの家で友人と2人暮らしはしないということが気づけ、のちに一人暮らしをするのですが、1人で暮らす大変さを実感して色々とありがたみを感じるようになった。
当時僕が働いた店舗の営業時間が長く、朝から晩までみっちり働き、休みの日も遊んだ記憶はありませんが、中華料理屋の先輩にパチンコを教えてもらった。ギャンブルを覚えた。ビギナーズラックで勝ってしまい、パチンコ貯金ができてしまい、パチンコ行け勝てると勘違いして、毎回数万勝っていたので、美容師をする前までのめり込んでしまうことに…
料理屋ではまかないがあったので食事には困らなかった。
ただ食いすぎて顔がパンパンになり太った。妻に太っていた時の写真を見せたら、「この時に出会っていたら絶対に付き合っていない」と言われるほどやばかった。
ある日、会社のオシャレが好きな同期に寮で髪の毛を僕の髪の毛を切ってとお願いをしました
翌日
店長に大激怒され、僕の中では調理場は「髪形は自由にできる」と勝手に思い込んでいたため、怒られたのが衝撃的すぎました
その頃から「俺はこの仕事一生するのかな?」と思うようになりました
自分の髪の毛をスタイリングをするのが好きだったため、「髪型が自由にできるところで働きたい」と気づき
その思いを店長に伝え退職しました。先輩の家から引っ越すきっかけにもなり一人暮らしをすることもできた
料理屋の経験のおかげで自分の将来のこと考えれるようになり好きなことで仕事をしようと思えた。19歳くらいで「俺はこの仕事一生するのかな?」と気づけるスキルが身についたのはすごく良かった
僕の中ではこの中華料理屋時代があったので、美容の道に進めるきっかけになりました
特に目標もなくバスケットばかりしていたフリーターをしていた頃
料理屋さんを辞める前から、学校見学のことを調べていて
美容学校とヘアメイクの学校見学と悩みましたが、当時知識もなかったので美容学校は入れないだろうと勝手に決めつけてとりあえずヘアメイクの学校を見学しました
料理屋を辞めてバイトを掛け持ち、バスケットをして毎日が楽しかった
中華料理屋で働いたお金はほぼ使っていなかったので、パチンコ貯金と合わせて学費に全部回し
今の自分なら「週1のコース」ならいけると思い、ヘアメイクの学校に行くことにした
実際にヘアメイクの学校に通うと、そこでも自分の甘さを痛感させられた
生徒数は8人くらい?でした。僕合わせて男子は二人
しかも僕も同期の男の子も美容関に関して全くの素人
「なんとかなるだろう」と変な自信とプライドがあったけど
全くなんとかならなかった
周りの女性の同期は美容部員だったり、ヘアメイク経験者の人ばかりで
スタートの時点でレベルが違いすぎました
なんとなくでヘアメイクの学校に入ったのもあり、学校でもらう宿題もせず
遊びに没頭してた
学校の卒業が近づいくと、新たな事実が発覚
求人が全くなかったんです
僕はとりあえず学校にいけば就職できるだろうと安易な考えだったため、その現実を突き詰められた
これはこのままだと「まずい」と気づき求人雑誌からヘアセットができる就職先を探し始めた
ヘアセットに興味を持つきっかけになったのが
学校の卒業製作で一人のモデルさんを仕上げるとイベントがあって
カッコいいヘアスタイルが作りたいイメージだけ頭の中にあり「モヒカン」のヘアスタイルを作りました仕上がりはかなりひどかったです
メイクには興味が湧かなかったですが、セットは作っていて楽しかった
これだと思い、運良く北新地のセットサロンに就職が決まった。
電車通勤が嫌だったので、原付で通っていたのですがスピード違反で捕まり「こんなスピードでやってられるか」とそれをきっかけに中型のバイクの免許とった。
日曜日が休みだったセットサロン時代
セットサロンは同じ美容業ですが、美容院と営業時間と日々ご来店されるお客様が違います
セットサロンって何?
簡単にいうと、セットサロンはホステスさんの出勤前のホステスさんを髪の毛をヘアセット専門です。
営業時間も昼からのところが多く、休みもホステスさんに合わせて、祝日と日曜日でした。
僕が入社した年は同期がかなり多かったです
当時配属先が全部で6店舗あり
その中でも「クラブ、ラウンジ」のトップのホステスさんばかりのお客様が多くご来店されるお店に僕は配属された
僕は同期の中でも、トップクラスで不器用だったと思います
それでも、自分がやりたいセットの仕事だったので毎日が楽しかった
ホステスさんに叱られながら、緊張で汗をかき、手がプルプル震えながら、ホットカーラーや、ヘアアイロンでお客様の髪の毛を巻いてました
そんな時期乗り越え違う店舗の異動もあり、スタイリストとしてデビュー、店長もさせていただきました
相変わらずギャンブルが辞めれず生活費ギリギリの生活をして先輩、親、妹にお金を借りる日々。お金のことはその日暮らしでよく、将来のことは考えていませんでしたね。
幸いクレジットカードも持ってなかったしカードローンがないだけマシだった。今さらクレジットカードを派手に使ってたりカードローンしてたらと思うとゾッとする
ちょうど店舗異動した22歳の頃に妻と出会い、交際がはじまりました
それと同時に俺って「今のままでいいのかな?」とまた感じるようになった
日曜休みで、バスケットもでき公式戦にも出場できる、趣味も充実してとてもやりやすいと環境だと思ってましたが
僕はずっとセットサロンで働くのかな?と 将来のことを考え自分を見つめ直す時間が増えてきた。
何か物足りなさを感じていた
いいタイミングで友人から「うちのお店で働いてほしい」とお願いされて
モヤモヤしていたのもあり心機一転して新しいお店で働くことにした。
何もかもが新鮮でした
今まで「かっちりしたヘアセット」しかやってこなかったので新しいお店では「ゆるふわなヘアアレンジ」を覚えました。
けど引き抜きでそのお店に入って優遇されていたのもあり
「自分にかなり甘かった」
結局ダラダラと、同じことの繰り返しでやりがいを感じることもなく日々を過ごしていた。
お金のことはその日暮らしでよく、将来のことは考えないパチンコをしつつも、お金を貯めれていた。けどお金にだらしない経験もたくさんできた。当時後輩と隙間時間にギャンブルに行くようになり、パチンコに行ってることがバレたくないがため妻に変に嘘をつくようになった。
カードローンがないだけマシだった
女性の勘はすごいですよね、僕の対応が明らかにおかしく、異変をすぐに察知していたそうです。
ある日後輩とスロットに行きそのやり取りを、妻に20万負けたラインを見られて(普段はラインを勝手に見たりしません笑)、ギャンブルしていることがバレる。妻はきっとギャンブルしてるんだろうなと気づいていましたが、嘘をついてたことが悲しく正直に言って欲しかったと言ってくれました。
結論
妻にしばかれる
お金のだらしなこと、やってることが親と一緒じゃん。でもこれをきっかけにギャンブルをやめました。ギャンブルの借金を全て返すが妻からの信頼失う、しばらく疑わられるようになった
話は脱線してましたが、ホステスさんと違うお客様と携わるようになってから
美容室に興味が湧いてきて
いつの間にか「カットできるようになりたい」と同時に美容室で働いてみたいと思うようになった
スタッフの紹介で、美容室のアシスタントを募集してるサロンを紹介してもらえたのでセットサロンを退職して
美容室に面接へいき、運良く26歳にして美容室で働くことになった
26歳にして美容師をスタートした
人それぞれだとは思いますが、26歳にして美容師をアシスタントから始めるのは遅いです
美容学校を卒業して20歳でそのまま美容室で働くので、僕のスタートよりも「6年も差があります」
ある程度覚悟を決め「2年でスタイリストになる」と意気込んで臨みましたが全然うまくいきませんでした。 持ち前の諦めない気持ちで順調にカリキュラムをこなしスタイリストへの道を進んでいた。
結果的に、運と、タイミングが良かったため2年半でスタイリストとしてデビューをさせていただきましたが
本当に僕は運がよかった
「シャンプーすら合格ができない日々」入社後の3カ月間がかなりつらかったです。
アシスタント業務がうまくできず、席の準備もできない、受付もまともにできない、全てがうまくいかず、叱られてばかりだったので
フロアで仕事をするのが「怖くなった」
洗い物をしたり、タオルを畳んだり、フロアに出ることを避けて逃げることが多くなった
同期のアシスタントは僕を合わせて3人でしたが、同期二人は僕よりもカリキュラムが先に進んでいて
その時点から差があった。
けど、できない自分が嫌だったので、カリキュラムを1つずつ合格をいただいて経験値を積んでいくと同時に自信もつき
いつの間に叱られなくなって、アシスタントの戦力として入れてもらえるようになった
「絶対にできるようになる」
この気持ちだけで頑張り、3カ月以降は淡々とカリキュラムを合格して同期の中で一番進んでいるアシスタントになった。
ちょうど入社して1年半後に自分の結婚式を迎えた
個人的に結婚はするのは自分がスタイリストになってからと決めつけていたけど
いい意味で妻にケツをたたかれて、「覚悟を決めて」26歳で結婚した

僕が勝手に決めつけているのですが
僕は「人に乗っかる方が僕の人生はうまくいく」と思い混んでいて
今現在でも人生の継続中ですが、あの時ケツをたたかれ結婚して良かったな思っています
美容師2年を迎えたところで心機一転店舗へ異動
新店を出すことになって新店のアシスタントとして選ばれて少人数の店で働くことになった
ちょうどカットレッスンに入った頃、長男が生まれた
その頃、通信教育で通いながらお店のカリキュラムを進めていたので
何としても「国家試験を受からないといけない状況だった」
余裕で国家試験は受かるだろうとなめくさって、国家試験に臨んだのですが
「僕は国家試験を二回落ちている」
しかもちょうど本店の先輩のスタイリストさんが辞めることもあり、急遽本店でオーナー直々にカットレッスンを受けて
スタイリストとしてデビューするためのテストと国家試験のテストも被っていて
あの時は本当に追い込まれてました。
正直も2度とテストは受けたくないです笑
国家試験、サロンのテストも無事に受かってスタイリストデビューを叶えました。
諦めない気持ちは、この時に1番鍛えられた気がする。そのおかげで叶った
夢のカットができるようになり、最高にうれしい日々を迎えるはずだったのだが…
新たな壁にぶつかり体に異常が発生
「円形脱毛症になりました(三つ)」
この時は本当につらかったなーと、円形が出来たての頃は
軽い気持ちで日々を過ごしてましたが、気がついたら円形3つに増えて
この時は本当に妻にも心配かけました
今振り返ると
後輩の指導がうまくいかなかったことと、周りの(特に同期)売り上げを意識しすぎて、自分で自分を追い込み首を絞めていたんだと思います
その頃、ちょうど次男も産まれて、気持ち的にも楽になって円形が治るかなと思っていましたが
全然治る気配すらなかったです笑
あらためて体は正直なんだなと痛感させれました。
結局自分は田舎育ちだったということ
米子に住みはじめてから家族との時間も増え、親の協力もあり、プライベート、仕事と充実する日々(円形も半年で完全に治りました)
「子供は田舎で育てたい」僕も妻も二人とも田舎育ちということもあり、子供達には
田舎の自然の良さをたくさん感じて欲しい
という願いがあり子供達が大人になり親の僕らから離れるようになったら
都会に出るなり、地元に残るなり好きにしたらイイと思っています
田舎に戻ってきて
なんだかんだでぼくも今のライフスタイルが心地よくて、ぼくの体も心も結局は
「静かなところで暮らしたい」と
年齢を重ねるごとに田舎を欲している自分がいたんだ思います
「いい人に出会えて」「いい職場環境に恵まれる」
米子に来てから僕はいい人に出会え、いい職場環境で働けて、本当に僕は運がよかったと思っています
個人店に入ってから、田舎と都会の集客数の違いにびっくりした。
ある時「美容師は生涯いつまでできると思う?」と店のオーナーに聞かれて
僕はそんな事想像できなかったし、深く考えていませんでした
以前までは
「なんとかなるだろう」 「気合」 「自分は大丈夫だという根拠のない変なプライド」
とその日暮らしで具体的に先のことを全く考えていませんでした
将来の事を冷静になって考えて「このままじゃ将来が不安だ」
将来の事をはじめてしっかり考えるようになり、仕事に対する考えと取り組み方が変わりました。
収入はまだまだ妻に迷惑をかけていてが、できる範囲でまたお金を貯めるようになった
オーナーが賢い人で、技術以外の将来の美容師像を考えることの大事さを教えてもらった
家族の髪の毛を任せてもらえるということは幸せなこと
お盆休みに公休をとって島根の実家に帰りました。
母からいつものごとく髪の毛を切ってくれとメールがありました。なので、母親だけかなと思いましたが
父に
「わしも切ってもらおうかな!!」
伸び切った父の髪の毛を僕が初めて切った。実は父は行きつけの床屋さんがある
今回お盆休みもあり、担当の方がご年配ということもあり、中々切るタイミングも合わなくなってきたとか。。
父と2人の時間とかいつぶりだろうか?
切ってる最中もたわいもない会話をしていました
会話中に心に残った言葉があって髪の毛を切ってる最中、父に
“お前はプロの目をしていた”
真剣な表情で切っていたからだと思う。父も僕の真剣な表情を見るのは初めてじゃないかな
父からもらう言葉だから凄く励みになるしもっと頑張ろうと思えたよ。
けどやっぱり僕は少し恥ずかしい気持ちだった
「お前も33歳(当時)かっ。はやいの」
お互いに “年をとったね”
「お前に髪の毛を切ってもらうとは思わんかったわ」
それは僕もだよ。父さんの髪の毛を切るとは思わなかった
父含め、母も、妹も、家族の髪の毛を切らせてもらっている
美容師 としてとても幸せな事だと思う

まぁ母にはうまく僕を使われているんだろうけど笑
僕も親に迷惑かけた分,少しずつ恩返しをしていかないといけない
年を重ねれば重ねるほどタイミングが合わず親と、2人になる時間が少なくなると思う
だからこそ
これからは父の髪の毛も、積極的に切っていこうと思う(僕でよければ)
髪の毛を切り終わり父、母に”ありがとう”と心を込めて言われて
素直に嬉しかった
この気持ちは嬉しい気持ちは一生忘れないと思う。
低価格サロン マンツーマンサロンで働く
地方に適したSNSやWEBの使い方を覚えてから、自分の働き方について考えるようになり都会の働き方調べてを知るうちに
- 店長になるシステムがイヤ
- 子供のイベントに気軽に行ける環境が良い
- アシスタントを使わずにマンツーマンでお客様と向き合いたい
という想いが強くなり、個人店を退社して休みが取りやすい環境に飛び込んだ!!
低価格サロンでは休みが自由に取れるし、プライベートはかなり充実してました
が…働いて1年経つ頃、ただお客様をこなすだけになってきてて、自分の仕事のやりがいって何?と考えるようになりました。バイトという立場を理由にして、雑務など最低限のことしかせず思いやりの気持ちが欠如してきました
ちょうど低価格サロンで働くタイミングで、僕がカットでお世話になってた行きつけの美容室のオーナーに
「夜だったら1席空いてるから使いますか?」と声をかけていただき、夜はアシスタントを使わない、マンツーマンサロンで働き
「僕はやっぱり1対1でお客様と向き合う働き方が合ってる」
改めてマンツーマンサロンの良さを体験できた。
2つのお店で経験を積み、技術や丁寧な接客を学ぶことができた。
こういう働き方が朝、夜と違うサロンで働くのはずっとできないと思っていました。
その後、準備期間をしっかりと設けて今回は独立に挑む。
大衆業務委託サロンで開業した
個人店の時にお世話になった知人から、「業務委託美容室」で働きませんか?と声をかけていただいた
サロンが美容師に場所や道具、顧客を提供し、報酬は売上の一定割合を美容師に支払う
- 自由度が高い働き方:業務時間や報酬設定に柔軟性があるため、自分のライフスタイルに合わせやすい。
- 報酬は歩合制が中心:売上に応じて収入が決まるため、高い技術力や集客力が収入を左右する。
- 福利厚生は自己管理:雇用ではないため、保険や年金などは自分で手続き・負担する必要がある。
- 独立志向の美容師に最適:自分の顧客を持ち、将来独立を目指す美容師に向いている働き方。
- サロンによって集客のサポートが異なる:一部のサロンは美容師に集客を任せるが、他のサロンは集客をサポートすることもある。
全くの顧客様は0人スタートだったので完全にお店を1から作り独立するのはリスクが高いと思い、
低価格サロン マンツーマンサロンで働きつつ、開業準備をしながら2年が経った頃に独立して個人事業主になった
僕が入った場所は5人働ける大衆用のサロンでした。
ここでもなんとかやっているだろうと安易な考えだったが、甘すぎることを痛感した。
オープン2ヶ月間売り上げが少なくて病む。何より行動してる時は忘れていいのですが、連日予約が入ってないのが続いて、
2月の予約は入ってないという目先だけの不安の気持ちが強まり悪循環。
この時は本当に凹みましたね。その後いろんな方の協力もありなんとか立ち直れました。
自分の時間も多くでき自己投資をするようになった、Youtubeで両学長の動画出会い、お金のことに興味を持ち出し確定申告を楽にできるようにと簿記三級うけたけど落ちた笑
結果的に確定申告もスムーズにできるようになったし受けていて本当に良かったと思っています。また改めて簿記受けていなー
お金の勉強は他にも影響を与え
自分の簡単な家計簿を作り我が家のお金の流れを把握できるようになった
- 色々と見直し、固定費削減に成功
- 現在のお店の固定費を下げ、無駄を省き低い売上でもやっていけるようにした
が。。いいことばかりではなかった。分かってはいたけど、働く人数も増えれば環境は変わり
各々が自分の正解を持っていてやり方の違いにストレスがたまる
人がたくさんいる所は嫌な事を確認。1人が良い。
「こうなったら独立するしかない。」
2年間の契約期間を経て、独立した
エーデルへの想い
僕が美容師になったきっかけは「カットする自分がかっこいい」という想いからでした。
しかしたくさんのお客様に「ありがとう」という言葉をいただける様になって美容師に対する想いが変わり、自己満足な考え方を改め「もっとお客様に喜ばれるようになりたい」という気持ちに変わりました。
スタイリストとして自信もついてきた頃に、家庭の事情で引っ越すことになりお客様が全くのゼロの状態で美容室で働くことになりました。毎日「どうやったらお客様に喜んでもらえるんだろうと」と必死で考えていました。
そこでたどり着いたのが「丁寧なカウンセリング」でした。当時スタッフの中で「〜様と名前を呼びながらカウンセリング」をしているスタッフがいなかったので、そこに着目してカウンセリングに力を入れることにしました。
じっくりと話をお伺いすることで、お客様に安心感を与える事に気づき、丁寧なカウンセリングを続けることで自信をつけ、同時に施術もより丁寧にすることで「丁寧にやってもらえて髪の毛がキレイになって嬉しいです」と言われることが多くなりました。
自分はお客様に喜んでもらえる事に嬉しくなり、改めて僕は美容師になってよかったなと実感しました。ある日いつも通り丁寧に接客していたら店長に「カウンセリングに時間かけすぎだよ。お店が回らないから考えて」と注意されました。
当時働いてた美容室は、お客様を掛け持ちしたり、時間効率を考えて利益を出すお店でした。
それなのにお店のプロフィールで丁寧な受け答えと進めている。それに反してお客様に入ることに疑問を感じ、その頃から自分の将来の美容師としての働き方について考えるようになりました。
僕が本当にやりたいことは、カウンセリング、シャンプー、髪の毛を乾かす、カラーを塗る、パーマを巻く、など全ての工程をアシスタントに任せず、自分1人で「時間にゆとりを持ちながら、お客様に最初から最後まで向き合いたい」という想いが強くなり近い将来独立しようと決断しました。
ただ丁寧だけではお客様に満足してもらえません。
自分に何ができるのかと2年間研究してたどりついた「髪質改善」という技術でした。
髪質改善技術に特化した美容室で3ヶ月の技術講習を受け傷んだ髪の毛をキレイにする技術だけに向き合いました。
髪質改善という技術はとても集中する技術なので、僕がお受けできるギリギリの人数が「1日3名様」でした。
一人一人のお客様に集中して入ることでおかげさまでお客様に「山影さんなら安心して、髪の毛をお任せできる」「こんなに丁寧にカウンセリングしてもらったのは初めて」「髪の毛に艶が出てキレイだねと褒められます」と言っていただける様になりました。髪質改善は髪を通して、見せかけのキレイさではなく、「素の髪のキレイ」を喜んでいただける技術です。
技術の満足はもちろんですが、お客様には限りある時間の中から来ていただいてるので「価値のある特別な時間を過ごしていただきたい」という想いをお店の名前に込めてます。最初から、最後までお客様と向き合った後に言われる「髪の毛がキレイになって嬉しいです。ありがとうございました」この言葉で最高にやりがいを感じます。髪質改善という技術で、髪に悩んでいる女性の手助けができたら嬉しいです。
終わりに
今も試行錯誤しながら日々いろいろな事にチャレンジし続け、お世話になった人に感謝の気持ちを忘れずに恩返しをできるように毎日を楽しんでいます^ ^
これからも日々美容のブログを書き続け
もっとたくさんの方の役に立つコンテンツを増やしていきたいと思っています
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします
お父さんはどんな人?←インスタグラムでedelについて、子育てについてインタビューしてきただきました。よかったらご覧くださいませ

