edel(エーデル)のホームページをご覧いただきありがとうございます。
オーナーの山影優(やまかげすぐる)といいます
edel(エーデル)とはドイツ語で「貴重な」という意味があり
お客様に美容室で
「価値のある特別な時間を過ごしていただきたい」という想いから、edel(エーデル)という名前をつけました。
簡単に僕の自己紹介をさせてください^ ^
ヤマカゲスグルの簡単な経歴
出身は島根県雲南市三刀屋町です。
家族構成は3人家族、3児の父です。
仕事が終わったら即、家に帰るくらい家族が大好きです。
趣味はバスケットをすること。
個人的な将来の夢はNBAを見に行くこと^ ^
あとはブログをかいたり、「美容師ブログ」、子供の写真を撮ってSNSにアップすることです。
中華料理屋時代
- 高校卒業後 「都会に出たい」と「料理ができるお父さんでありたい」という理由だけ で大阪に出て中華料理屋で働きました
- 奇抜な髪の毛にして、店長に髪形を注意され、髪形を注意されたこときっかけに辞めることを決断 半年で退職
- 髪の毛にたずさわる仕事がしたいと思い、学校の説明会にいってヘアメイクの学校にいくことにしました
フリーター時代
- カラオケ屋と居酒屋でバイトしながら生計を立てていました
- バイト後にするバスケットが楽しすぎて、学校よりもバスケットに夢中でした
- 真面目に学校は行き、なんとか卒業できた メイクに興味が全く湧かなかったのでメイクをしないと決めて、北新地の「ヘアセット専門店」入社しました
セットサロン時代
- とにかく不器用で 同期の女の子に「負けたくない」という気持ちと気合いで日々を乗り越える
- 毎日緊張の汗を大量にかきながらホステスさんに叱られながらけ髪の毛をひたすらホットカーラーで巻いてました
- 北新地から、宗右衛門町の店舗に異動した 不器用でもきちんとヘアセットができるようになりました
セットサロン(別店舗)時代
- 友人の紹介で、違うお店で(かっちりセットから、ゆるいヘアアレンジをメイン)働きました
- 美容以外の仕事を勉強させていただきました
- その頃から「美容師になりたい」と思うようになり、退職して26歳にして美容師をスタートする事を決断
美容師時代(大阪)
- ここでも不器用さ発揮してアシスタントの時毎日叱られました。
- とにかくレッスンして、順調にカリキュラムをこなし「タイミングと運により」早期スタイリストデビューができた
- 自分の息子が入院をしたことをきっかけに、妻の地元(鳥取)に帰ることを決断しました
米子で個人店、低価格サロンで働く
- 家族の紹介で顧客0スタートで個人店で働く。
- 子供のイベントに気軽に行ける環境で働きたいと思い、低価格サロンで働く
- 空いた時間で、夜にマンツーマンサロンで働く
現在
何もかもゼロスタートの状態でしたが、今も必死で毎日を試行錯誤しつつ毎日を楽しんで過ごしています^ ^
どういう人生を歩んできたのか?
今に自分に至るまでをかいています。ながい文章ですが、良かったら読んでください
島根県雲南市三刀屋町出身の田舎育ちの僕は
特に取りえがなかったけど、家庭環境が複雑だったのもあり「忍耐力」はあるのと、運動することは好きでした。
小学校の時、部活動の種類も少なかったのもありますが気がついたらバスケットボールを初めて、中学、高校と続けました
今僕の唯一の趣味になっています
そのバスケットで培った気合と根性で
美容学校通信教育に通い、仕事をしながら美容師免許を取得できました。
少年時代
小学校、中学校と無事卒業すことができ、高校の時はバスケットボールの特待生で私立の高校に進みました
憧れで入った高校でしたが、現実は全くちがい
自分の実力を目の当たりにし
部活の同期ともうまくいかず、本当に辞めたかったです
高校の公式戦出場時間は10分もなかった
それでも、部活を辞めなかったのは
自分の家が貧しかったので
特待生で部活を辞めてしまったらせっかくの学費免除がなくってしまい
それが1番の理由です
小、中、とレギュラーで試合に出られていたのに高校の時は全く試合にも出れずに、諦めた
そんな自分に腹が立ち、悔しい思い出が強くいまだに心残りがあります
部活を引退した後は、毎日がとても楽しく、あっという間に高校卒業を迎えた
進学はする気がまったくありませんでしたが、「とにかく都会に行きたい」
当時中学校の時の先輩が大阪にいたので
それをきっかけに大阪に行くことを決断しました。
なんとなく過ごしていた25歳までの話
全く知らない大阪に行くことになったのですが、ワクワクする気持ちが強かったです
大阪は自分にとって第二の故郷で
いろんな業種の人と出会い、人としてたくさんの学びがあり、本当に大阪に行って良かったなと思っています
学生時代はほぼ父親に育ててもらったのもあり、僕の中で父親がご飯をつくれるのが憧れになり
「将来料理ができるお父さんになりたい」
そんな理由で、中華料理屋さん就職しました。
何店舗かありましたが、店舗の一つがたまたま先輩の家の近くでした
運良く、先輩の家の近くの店舗に配属され、働くことになった。
当時僕が働いた店舗の営業時間が長く、朝から晩までみっちり働き、休みの日も遊んだ記憶はありません
ある日、会社のオシャレが好きな同期に寮で髪の毛を僕の髪の毛を切ってとお願いをしました
翌日
店長に大激怒され、僕の中では調理場は「髪形は自由にできる」と勝手に思い込んでいたため、怒られたのが衝撃的すぎました
その頃から「俺はこの仕事一生するのかな?」と思うようになりました
自分の髪の毛をスタイリングをするのが好きだったため、「髪型が自由にできるところで働きたい」と気づき
その思いを店長に伝え退職しました
僕の中ではこの中華料理屋時代があったので、美容の道に進めるきっかけになりました
特に目標もなくバスケットばかりしていたフリーターをしていた頃
料理屋さんを辞める前から、学校見学のことを調べていて
美容学校とヘアメイクの学校見学と悩みましたが、当時知識もなかったので美容学校は入れないだろうと勝手に決めつけて
とりあえずヘアメイクの学校を見学しました
中華料理屋で働いたお金はほぼ使っていなかったので、学費に全部回し
今の自分なら「週1のコース」ならいけると思い、ヘアメイクの学校に行くことにした
実際にヘアメイクの学校に通うと、そこでも自分の甘さを痛感させられた
生徒数は8人くらい?でした。
僕合わせて男子は二人
しかも僕も同期の男の子も美容関に関して全くの素人
「なんとかなるだろう」と変な自信とプライドがあったけど
全くなんとかならなかった
周りの女性の同期は美容部員だったり、ヘアメイク経験者の人ばかりで
スタートの時点でレベルが違いすぎました
なんとなくでヘアメイクの学校に入ったのもあり、学校でもらう宿題もせず
遊びに没頭してた
学校の卒業が近づいくと、新たな事実が発覚
求人が全くなかったんです
僕はとりあえず学校にいけば就職できるだろうと安易な考えだったため、その現実を突き詰められた
これはこのままだと「まずい」と気づき求人雑誌からヘアセットができる就職先を探し始めた
ヘアセットに興味を持つきっかけになったのが
学校の卒業製作で一人のモデルさんを仕上げるとイベントがあって
カッコいいヘアスタイルが作りたいイメージだけ頭の中にあり「モヒカン」のヘアスタイルを作りました仕上がりはかなりひどかったです
メイクには興味が湧かなかったですが、セットは作っていて楽しかった
これだと思い、
運も良く北新地のセットサロンに就職が決まった
日曜日が休みだったセットサロン時代
セットサロンは同じ美容業ですが、美容院と営業時間と日々ご来店されるお客様が違います
セットサロンって何?
簡単にいうと、セットサロンはホステスさんの出勤前のホステスさんを髪の毛をヘアセット専門です。
営業時間も昼からのところが多く、休みもホステスさんに合わせて、祝日と日曜日でした。
僕が入社した年は同期がかなり多かったです
当時配属先が全部で6店舗あり
その中でも「クラブ、ラウンジ」のトップのホステスさんばかりのお客様が多くご来店されるお店に僕は配属された
僕は同期の中でも、トップクラスで不器用だったと思います
それでも、自分がやりたい美容の仕事だったので毎日が楽しかった
ホステスさんに叱られながら、緊張で汗をかき、手がプルプル震えながら、ホットカーラーや、ヘアアイロンでお客様の髪の毛を巻いてました
そんな時期乗り越え違う店舗の異動もあり、スタイリストとしてデビュー、店長もさせていただきました
ちょうど店舗異動した22歳の頃に妻と出会い、交際がはじまりました
それと同時に俺って「今のままでいいのかな?」と感じるようになった
日曜休みで、バスケットもでき公式戦にも出場できる、趣味も充実してとてもやりやすいと環境だと思ってましたが
僕はずっとセットサロンで働くのかな?と自分を見つめ直す時間が増えてきた
何か物足りなさを感じていた
いいタイミングで友人から「うちのお店で働いてほしい」とお願いされて
モヤモヤしていたのもあり心機一転して新しいお店で働くことにした。
何もかもが新鮮でした
今まで「かっちりしたヘアセット」しかやってこなかったので新しいお店では「ゆるふわなヘアアレンジ」を覚えました
けど引き抜きでそのお店に入って優遇されていたのもあり
「自分にかなり甘かった」
結局ダラダラと、同じことの繰り返しでやりがいを感じることもなく日々を過ごしていた
けどホステスさんと違うお客様と携わるようになってから
美容室に興味が湧いてきて
「カットできるようになりたい」と同時に美容室で働いてみたいと思うようになった
スタッフの紹介で、美容室のアシスタントを募集してるサロンを紹介してもらえたのでセットサロンを退職して
美容室に面接へいき、運良く26歳にして美容室で働くことになった
26歳にして美容師をスタートした
人それぞれだとは思いますが、26歳にして美容師をアシスタントから始めるのは遅いです
美容学校を卒業して20歳でそのまま美容室で働くので、僕のスタートよりも「6年も差があります」
ある程度覚悟を決め「2年でスタイリストになる」と意気込んで臨みましたが全然うまくいきませんでした。
結果的に、運と、タイミングが良かったため2年半でスタイリストとしてデビューをさせていただきましたが
本当に僕は運がよかった
「シャンプーすら合格ができない日々」
入社後の3カ月間がかなりつらかったです。
アシスタント業務がうまくできず、
席の準備もできない、受付もまともにできない、全てがうまくいかず、叱られてばかりだったので
フロアで仕事をするのが「怖くなった」
洗い物をしたり、タオルを畳んだり、フロアに出ることを避けて逃げることが多くなった
同期のアシスタントは僕を合わせて3人でしたが、同期二人は僕よりもカリキュラムが先に進んでいて
その時点から差があった。
けど、できない自分が嫌だったので、カリキュラムを1つずつ合格をいただいて経験値を積んでいくと同時に自信もつき
いつの間に叱られなくなって、アシスタントの戦力として入れてもらえるようになった
「絶対にできるようになる」
この気持ちだけで頑張り、3カ月以降は淡々とカリキュラムを合格して同期の中で一番進んでいるアシスタントになった。
ちょうど入社して1年半後に自分の結婚式を迎えた
順調にカリキュラムをこなしスタイリストへの道を進んでいた
個人的に結婚はするのは自分がスタイリストになってからと決めつけていたけど
いい意味で妻にケツをたたかれて、「覚悟を決めて」26歳で結婚した
僕が勝手に決めつけているのですが
僕は「人に乗っかる方が僕の人生はうまくいく」と思い混んでいて
今現在でも人生の継続中ですが、あの時ケツをたたかれ結婚して良かったな思っています
美容師2年を迎えたところで心機一転店舗へ異動
新店を出すことになって新店のアシスタントとして選ばれて少人数の店で働くことになった
ちょうどカットレッスンに入った頃
長男が生まれた
その頃、通信教育で通いながらお店のカリキュラムを進めていたので
何としても「国家試験を受からないといけない状況だった」
余裕で国家試験は受かるだろうとなめくさって、国家試験に臨んだのですが
「僕は国家試験を二回落ちている」
しかもちょうど本店の先輩のスタイリストさんが辞めることもあり、急遽本店でオーナー直々にカットレッスンを受けて
スタイリストとしてデビューするためのテストと国家試験のテストも被っていて
あの時は本当に追い込まれてました
正直もテストは受けたくないです笑
国家試験、サロンのテストも無事に受かってスタイリストデビューを叶えました。
夢のカットができるようになり、最高にうれしい日々を迎えるはずだったのだが
新たな壁にぶつかり体に異常が発生
「円形脱毛症になりました(三つ)」
この時は本当につらかったなーと、円形が出来たての頃は
軽い気持ちで日々を過ごしてましたが、気がついたら円形3つに増えて
この時は本当に妻にも心配かけました
今振り返ると
後輩の指導がうまくいかなかったことと、周りの(特に同期)売り上げを意識しすぎて、自分で自分を追い込み首を絞めていたんだと思います
その頃、ちょうど次男も産まれて、気持ち的にも楽になって円形が治るかなと思っていましたが
全然治る気配すらなかったです笑
あらためて体は正直なんだなと痛感させれました。
結局自分は田舎育ちだったということ
米子に住みはじめてから家族との時間も増え、親の協力もあり、プライベート、仕事と充実する日々(円形も完全に治りました)
「子供は田舎で育てたい」
僕も妻も二人とも田舎育ちということもあり、子供達には
田舎の自然の良さをたくさん感じて欲しい
という願いがあり
子供達が大人になり親の僕らから離れるようになったら
都会に出るなり、地元に残るなり好きにしたらイイと思っています
田舎に戻ってきて
なんだかんだでぼくも今のライフスタイルが心地よくて、ぼくの体も結局は
「静かなところで暮らしたい」と
年齢を重ねるごとに田舎を欲している自分がいたんだ思います
「いい人に出会えて」「いい職場環境に恵まれる」
米子に来てから僕はいい人に出会え、いい職場環境で働けて、本当に僕は運がよかったと思っています
「美容師は生涯いつまでできると思う?」と店のオーナーに聞かれて
僕はそんな事想像できなかったし、深く考えていませんでした
以前までは
「なんとかなるだろう」 「気合」 「自分は大丈夫だという根拠のない変なプライド」
と考えていませんでした
将来の事を冷静になって考えて「このままじゃ将来が不安だ」
技術以外のところを教えてもらい
将来の事をはじめてしっかり考えるようになり、仕事に対する考えと取り組み方が変わりました。
低価格サロン マンツーマンサロンで働く
地方に適したSNSやWEBの使い方を覚えてから、自分の働き方について考えるようになり都会の働き方調べてを知るうちに
- 店長になるシステムがイヤ
- 子供のイベントに気軽に行ける環境で
- アシスタントを使わずにマンツーマンでお客様と向き合いたい
という想いが強くなり、個人店を退社して休みが取りやすい環境に飛び込んだ!!
低価格サロンでは休みが自由に取れるし、プライベートはかなり充実してました
が…働いて1年経つ頃、自分の仕事のやりがいって何?と考えるようになりました。
ちょうど低価格サロンで働くタイミングで、僕がカットでお世話になってた行きつけの美容室のオーナーに
夜だったら1席空いてるから使いますか?と声をかけていただき、夜はアシスタントを使わない、マンツーマンサロンで働き
「僕はやっぱり1対1でお客様と向き合う働き方が合ってる」
改めてマンツーマンサロンの良さを体験できた。
2つのお店で経験を積み、技術や丁寧な接客を学ぶことができた。
その後、準備期間をしっかりと設けて今回は独立に挑む。
エーデルへの想い
僕が美容師になったきっかけは「カットする自分がかっこいい」という想いからでした。
しかしたくさんのお客様に「ありがとう」という言葉をいただける様になって美容師に対する想いが変わり、自己満足な考え方を改め「もっとお客様に喜ばれるようになりたい」という気持ちに変わりました。
スタイリストとして自信もついてきた頃に、家庭の事情で引っ越すことになりお客様が全くのゼロの状態で美容室で働くことになりました。毎日「どうやったらお客様に喜んでもらえるんだろうと」と必死で考えていました。
そこでたどり着いたのが「丁寧なカウンセリング」でした。当時スタッフの中で「〜様と名前を呼びながらカウンセリング」をしているスタッフがいなかったので、そこに着目してカウンセリングに力を入れることにしました。
じっくりと話をお伺いすることで、お客様に安心感を与える事に気づき、丁寧なカウンセリングを続けることで自信をつけ、同時に施術もより丁寧にすることで「丁寧にやってもらえて髪の毛がキレイになって嬉しいです」と言われることが多くなりました。
自分はお客様に喜んでもらえる事に嬉しくなり、改めて僕は美容師になってよかったなと実感しました。ある日いつも通り丁寧に接客していたら店長に「カウンセリングに時間かけすぎだよ。お店が回らないから考えて」と注意されました。
当時働いてた美容室は、お客様を掛け持ちしたり、時間効率を考えて利益を出すお店でした。
それなのにお店のプロフィールで丁寧な受け答えと進めている。それに反してお客様に入ることに疑問を感じ、その頃から自分の将来の美容師としての働き方について考えるようになりました。
僕が本当にやりたいことは、カウンセリング、シャンプー、髪の毛を乾かす、カラーを塗る、パーマを巻く、など全ての工程をアシスタントに任せず、自分1人で「時間にゆとりを持ちながら、お客様に最初から最後まで向き合いたい」という想いが強くなり近い将来独立しようと決断しました。
ただ丁寧だけではお客様に満足してもらえません。
自分に何ができるのかと2年間研究してたどりついた「髪質改善」という技術でした。
髪質改善技術に特化した美容室で3ヶ月の技術講習を受け傷んだ髪の毛をキレイにする技術だけに向き合いました。
髪質改善という技術はとても集中する技術なので、僕がお受けできるギリギリの人数が「1日3名様」でした。
一人一人のお客様に集中して入ることでおかげさまでお客様に「山影さんなら安心して、髪の毛をお任せできる」「こんなに丁寧にカウンセリングしてもらったのは初めて」「髪の毛に艶が出てキレイだねと褒められます」と言っていただける様になりました。髪質改善は髪を通して、見せかけのキレイさではなく、「素の髪のキレイ」を喜んでいただける技術です。
技術の満足はもちろんですが、お客様には限りある時間の中から来ていただいてるので「価値のある特別な時間を過ごしていただきたい」という想いをお店の名前に込めてます。最初から、最後までお客様と向き合った後に言われる「髪の毛がキレイになって嬉しいです。ありがとうございました」この言葉で最高にやりがいを感じます。髪質改善という技術で、髪に悩んでいる女性の手助けができたら嬉しいです。
終わりに
今も試行錯誤しながら日々いろいろな事にチャレンジし続け、僕は毎日を楽しんでいます^ ^
これからも日々美容のブログを書き続け
もっとたくさんの方の役に立つコンテンツを増やしていきたいと思っています
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします